SSブログ

NPO法人和田地域づくり協議会『WA・O!』主催 寺子屋講座へ参加しました<後編> [この町を知ろう! ~安房、ちょっとお勉強~]

スポンサードリンク




7月4日(金) NPO法人和田地域づくり協議会『WA・O!』主催 寺子屋講座へ参加しました<後編>
6月15日(日)に参加した寺子屋講座で学んだこととその感想の、2回目です。

講座の概要については6月5日(木)の記事をご参照ください。
<前編(下記テーマ1、2、3)>はこちらへ。

【この日のテーマ】
さて、講座は成城大学文芸学部の小島孝夫教授の司会進行の下、5名の学生達が次のテーマで発表しました。
1.ジミョウから見た和田のくらし
2.家業から見た和田のくらし
3.葬式組の変化から考える和田のくらし
4.婚姻から見た和田のくらし
5.捕鯨からみた和田のくらし

【テーマ別発表(要約)】
4.婚姻から見た和田のくらし

旧和田町での婚姻は以下の特徴があった。
結婚の話は親の間でまとめられるが、それに先立って女性は学校を卒業すると東京に奉公へ出て「行儀見習い」をする習わしがあった。結婚話がまとまると、嫁入り道具が貰い方の家に並べられ、式は貰い方の家で行われた。式の翌日にくれ方(新婦)の家に新郎の両親、仲人の奥さんが挨拶に行き、その後、新婦の両親が新婦とともに婚家に出向いて接待を受けた。翌日、新婦が仲人かジミョウと一緒に近所や親せきの家に挨拶に回った。
以上が概略で、次に、昭和19年、22年、32年、38年に行われた婚姻の4つの事例が挙げられた。
時代背景が刻々と変化していくなかで「絶対的な儀礼」として行われたという印象はなく臨機応変に変化している様子がうかがえた。料理も親せきや近所の人の手で行われたものがプロの料理人に頼むようになったり、式の会場も婚家で行われていたものが旅館を利用するようになり、徐々に式が商業化されていった。
4つの事例で共通しているのは、ほぼ女性が25歳前後で結婚しているということである。これは「生き方のモデルケース」のようなものが想定されており、共同体全体で共有されていたのではないかと思われる。
現在は生き方が多様になってきており、そのようなモデルケースは維持されにくくなったようである。

5.捕鯨からみた和田のくらし

安房地方では江戸時代から捕鯨が行われており、現在でも和田町には捕鯨基地があり、ツチクジラの食文化が継承されている。
現在の捕鯨は、漁期6月20日から8月31日までの間26頭が捕獲され、鯨肉は地元の加工業者、個人客、観光客に販売され、外房捕鯨株式会社による自社加工が行われる。鯨皮は加工業者に販売している。なお、鯨骨は現在、廃棄物として処理されてしまうが、かつては地元のビワ栽培農家が肥料として重用していた。

(ツチクジラと今の和田のくらしについて)
外房捕鯨株式会社が6、7、8月にツチクジラの捕獲、解体、加工の作業を行っており、同社の施設の解体場で解剖・裁割・成形する。1頭平均4時間かかる。
地元の鯨の調理法は佃煮、竜田揚げ、タレ、カツなど。地元以外では、塩につけて干してから焼いて食べたり、にんにく醤油で刺身を食べたりするし、竜田揚げやステーキ、大和煮などにすることもある。
また、鯨文化を子どもたちに伝える取り組みもしており、和田町の子どもたちは小学校5年生、中学校2年生の総合学習で鯨の勉強をする。毎年初めて鯨が揚がった際、初漁祭を見学しにいく。
現在、「和田浦クジラ食文化おかみさんの会」も活動しており、飲食店や民宿で鯨料理を提供したり、ツチクジラ料理を紹介するイベントを行ったりしている。

(和田浦の小型沿岸捕鯨の課題について)
1998年からツチクジラ肉の下落が続いていること。これはミンククジラ肉との競合が原因のひとつに挙げられるが、ツチクジラ肉の購入者が高齢化し、消費量が減少したことも影響している。さらに捕鯨に関わる従業員の確保と解体技術の継承が難しくなっていること、鯨漁の船舶の老朽化への対応や、和田漁港の改修の必要性なども生じている。また、官の捕鯨と民の捕鯨の存在、調査捕鯨と小型沿岸捕鯨の存在など、捕鯨をめぐる状況がややこしい。小型沿岸捕鯨存続のための調査捕鯨傭船などの矛盾が生じている。
けれども現時点では和田町にはツチクジラの食文化が生きており、飲食店や民宿を営む町民は鯨を題材に町を盛り上げ、PRしていこうと考えている。和田町と鯨の関係は継続していくと思われるが、町として鯨を産業として守っていくのか観光資源として利用するのか、統一されていない。捕鯨が世間から注目されている今、町民が結束して和田町の鯨文化を世界に発信していく必要があるのではないだろうか。

【私の感想】
5名の学生達の発表、小島先生のお話を通して聞いて「いかにも和田町、というか房州人らしいなあ」という感想を持ちました。ジミョウにしても葬式組にしても婚姻にしても家業のことについても鯨文化にしても「どうしても継承していかねば!」とか「かたくなに守っていかねば!」という頑固さがなく、とても柔軟に、変化を許しているようにみえます。
「はあー、もうー、前のようにはいかねえさあ。はあ、しょーがねえっぺよ!」
という房州人のつぶやきが聞こえてくるような気がいたします。
それはそれでよいのではないかと思う一方、学生達も先生もおっしゃっていた通り「今一度立ち止まって考え、良いと思えるものは残していけたらよいのでは」というのも、まさしくその通りだと思いました。

とくに印象に残ったのは小島先生が最後におっしゃっていたことで、鯨の骨粉は柑橘類の作物を育てるのに最適で、古くから鯨漁を行っている地域と柑橘類が良く育つ地域がダブっているのだ、とのこと。まさにこの地域の鯨漁と枇杷の関係がそうなのでしょう。せっかくの鯨の骨粉が、今、顧みられなくなっているのはとてももったいない気がします。また共同体の伝統や文化なども含めて「これからどうしていくのか」ということについては、ずっと考え続けていかないと引き継がれていかないとのお言葉も深く感じ入りました。考え続けるというのは面倒だし、楽ではありません。それでも共同体で共有していた良きものはなんとかして引き継いで行けたほうがよいだろうと思います。

もうひとつ「仁我浦共同団体」のお話というのも、ぜひもう少し知りたいと思いました。明治22年の合併時に和田町有林になった、旧仁我浦村共有林を53戸で9か年賦で買戻し、昭和12年に完済したものを現在も規約の改定をしながら53戸で管理しているということです。なぜそのようにしたのか、なぜ現在も続けているのか興味があります。

今回の寺子屋講座はとても面白く、ためになりました。次回も期待しています。ありがとうございました。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。