SSブログ

梅干しづくりパートⅢ 土用干し・・・余談:祖母と昭南島 [ハウスワイフ2.0っぽく、やろう!]

スポンサードリンク




8月13日(水) 梅干しづくりパートⅢ 土用干し

6月26日の記事「梅干しづくりパートⅡ」の続きです。
8月2日に前回の作業の続きを行いました。引き続き祖母の言いつけどおりに行っています。
パートⅠの作業は
【1.梅の実をもぎます】
【2.実のヘタをとります】
【3.梅の量を計測します】
【4.梅を洗います。】
【5.干します】
【6.梅を塩につけます】
パートⅡの作業は
【7.赤紫蘇(あかじそ)を投入する】
今回はいよいよ↓
【8.土用干しをする】
8月に入り、晴天が3日程度続くと思われるタイミングで行います。
3日間、天日の下で漬けてあった梅を干します。夜も干して・・・というか夜も外に出して夜露に当てるのがベストだそうです。夜露にはあてるのですが雨には濡らさないようにするのでなかなか気を使います。
今回は祖母宅ですので祖母にお任せします。
「夜はしまっとくべえさあ(夜はしまっておくことにするわ)」とのこと。
では、Let’s go!

【久しぶりのご対面 漬かってる、漬かってる♪】

カビていません。ほっとしました。
umeboshi1_2014-08-02.jpg


(1)赤紫蘇を取り出して干す
ここから赤紫蘇を取り出してよく絞り、お外に干します。これは乾いてから細かくして「ゆかり」にします(^o^)丿
右のほうに置いてあるビンは、あとで梅酢を入れます。そのために熱湯消毒後、干しています。
umeboshi2_2014-08-02.jpg


(2)梅を干す
umeboshi3_2014-08-02.jpg

干しました! 物干しざおが影になっています・・・
ここで、梅の色が赤く染まっているものと染まっていないものがあることに気づきます。漬けたときに赤紫蘇を上にかぶせるようにしましたので、上の方にあった梅は赤味が強くなり、下のほうにあった梅は薄い赤色になっています。
あとで調べたところ赤い色にしたい場合は、一度干した後、梅酢につけるとよいらしいです。なるほど。

【漬かっていた梅(上)と干した梅(下)】

下は干して数時間経ったところで、まだ乾ききっていませんでしたが、2つばかりつまみ食いしました。おいしー!!
umeboshi4_2014-08-02.jpg

umeboshi5_2014-08-02.jpg



(3)梅酢をしまう
梅を漬けるときに水を入れたわけではないのに、梅と塩のおかげで梅酢がこれだけとれます。何リットルとれたか量っておけばよかったのですが、5リットルはあったのではないでしょうか。梅酢は保存もききますし、調味料として幅広く使えます。
梅干しを作ったらぜひ梅酢をいただくのを楽しみにしていました。
umeboshi6_2014-08-02.jpg


・・・今日の作業はここまででした。あとは祖母任せになります。毎日見に来たいのですが車で40分ほどかかりますので・・・

【ホントの余談:祖母と昭南島】
梅を干し終わってお茶をいただいているときに、何がきっかけだったか忘れましたが、祖母が太平洋戦争中、シンガポールにいたころの話をはじめました。
昭和17年から18年にかけての約1年間、祖母は邦文タイピストとして軍属でシンガポールへ赴任していました。
シンガポールは祖母にとって、いまだ「昭南島」であるようで、そのように呼んでいます。
生きて帰れなかったときのことを考えて葬式用の写真を撮ってから日本を離れたこと(佐世保港から船路)、帰国時には魚雷にやられそうになったものの、間一髪で船が避け、助かったこと。
赴任先では「男性に三尺(1メートルくらい?)以上近づいてはいけない」とされ、仕事に必要な話をするときでも男性からは三尺離れて大きな声で話さなければならなかったこと。出勤のときは女子寮から二列縦隊で歩いて職場に通ったこと。
寮の食事は中国人の女中さんが運んでくれたこと。不二家の店舗があり、ときどきお菓子を食べに出かけたこと。
・・・などなど。
とても貴重な体験だったのではないかと思われ、私も興味があるので記録にまとめるように勧めると、
「はあ(もう)70年も前の話だあでよ(話だからね)」
・・・とのこと。
貴重といえば、この時の話にはでませんでしたが、
「(祖母が)ガンジーにお茶をだした」との証言もあります。ガンジーってあの?マハトマ・ガンジー!?
私はインドが好きで3回も行っていますが、日本全国どこにでも銀座通りがあるのと同じようにどの町にも「MGロード」がありました。マハトマ・ガンジーのMGでしょう。そのガンジーに祖母がお茶を!
なんでもガンジー氏がシンガポールに立ち寄ったとき、日本人の若い女性にお茶を出させようということで祖母が振袖を着てお茶出しをしたそうです。ということは「振袖娘から茶を給されるガンジーって絵的に欲しいよね」という発想だったのではないかと思われ、となればどこかの新聞か何かの刊行誌に載ったのではないでしょうか。
どこかに残っていないでしょうかね。
おそらく祖母が会ったガンジー氏はインド独立運動で駆け回っていた頃かと思います。
祖母に限らず、先輩市民としてのお年寄りというのは、まったく「歴史の生き証人」ですし、それだけでなく豊富な体験、生活の知恵、人生に処する知恵などお持ちでしょうから、いただけるものは大いにいただきたいと思っております。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。